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2016/04/27コムデギャルソンについて

コムデギャルソン

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コムデギャルソンについて

日本を代表するデザイナーズブランドコムデギャルソン。世界的にも評価の高いブランドですので知らない方は是非、知っていただければと思います。

  • コムデギャルソンヒストリー

    1942年に東京で生まれた川久保玲が立ち上げた日本を代表するデザイナーズブランドです。慶應義塾大学文学部哲学科を卒業し、旭化成に入社。旭化成で繊維宣伝部に所属しスタイリストを学ぶ事になります。
    それがきっかけになり、1969年にコムデギャルソンをスタートさせ、1973年に株式会社コムデギャルソンを設立します。コムデギャルソンの意味はフランス語で「少年の様に」という意味です。
    川久保玲はここまでの過程で洋服の教育は全く受けていない事になります。1975年に初めてのコレクションデビューを飾り、そのスタイルは社会に左右されない自立した女性像を描いており、従来の女性らしさには無いルーズなデザインとモノトーンを多用し、孤独な女性を演出した事でセンセーショナルなブランドとして80年代に圧倒的な支持を集め、一部の熱狂的なファンは黒髪をおかっぱ頭にした、通称カラス族となる文化を生み出した事でも有名です。

  • コムデギャルソンヒストリー その2

    日本で成功をおさめた川久保玲は、同時期に苦楽を共にしていた山本耀司(ヨウジヤマモト)とパリに渡り、81年にパリ プレタポルテ・コレクションにデビューします。
    初のパリでの展示会とミニショーを行いそれ以来、パリを中心にコレクションを展開する事になります。
    この年、「ローブ ド シャンブル・コム デ ギャルソン(robe de chambre COMME des GAR?ONS)」と「トリコ・コム デ ギャルソン(trict COMME des GAR?ONS)」がスタートします。
    "トリコ"とは編み物やニットを指すフランス語で、当初はニットに特化したブランドとしての位置づけでしたが数年後から布帛のアイテムも展開するようになります。
    パリでの最初のコレクションはセンセーショナルでアバンギャルドでした。それは賛否両論を生み当時は大変な話題になりました。華やかなデザインが主流だった時代に、穴の開いたセーターや、それまでモードの世界で禁欲的な色として敬遠されていた黒を用いたファッションを発表したことで、服飾の既成概念を崩したアバンギャルドで斬新な表現手法は「広島シック」「黒の衝撃」と言われ批判を受けました。
    しかし、アバンギャルドかつクラッシックなスタイルは徐々にクリエイティブな若手デザイナーから受け入れられて行く事になります。
    こうしてヨウジヤマモトとともに「ボロルック」と呼ばれる黒を主体とした独特のファッションで、独自の世界を作り上げていくのです。
    コム デ ギャルソンは山本耀司、三宅一生(イッセイ ミヤケ)らと並び世界から注目を集め、80年代のDCブランドブームを引っ張り、国内外で地位を確立し、今も尚世界の第一線で日本を代表し世界的にも権威のあるデザイナーとして注目を集めています。

  • コムデギャルソンヒストリー その3

    1982年、パリ法人「COMME des GAR?ONS S.A.S.」を設立し、パリ店をオープンします。
    84年、「コム デ ギャルソン・オム プリュス(COMME des GAR?ONS HOMME PLUS)」がスタート。パリで最初のショー(1981年のはミニショーだった)と展示会を開催します。
    1987年、ビジネススーツラインの「コム デ ギャルソン・オム ドゥ(COMME des GAR?ONS HOMME DEUX)」、黒を中心としたライン「コム デ ギャルソン・ノアール(COMME des GAR?ONS noir)」をスタート。「トリコ・コム デ ギャルソン」のデザイナーが渡辺淳弥に交代。
    90年代、「黒」が世界的に使用されるようになると、色彩を代えて「赤」などカラフルな色を前面に打ち出すなど、他ブランドとは一線を引いたファッションを展開します。
    1992年、社内デザイナーだった渡辺淳弥がデザイナーを務める「ジュンヤワタナベ・コム デ ギャルソン(JUNYA WATANABE COMME des GAR?ONS)」が展開スタート。両国駅の旧改札口でショーを行ったのですが、これは当時大変大きな話題を呼びました。
    1993年、COMME des GAR?ONS S.A.S.による「コム デ ギャルソン・コム デ ギャルソン(COMME des GAR?ONS COMME des GAR?ONS)」がスタートします。

  • コムデギャルソンヒストリー その4

    1995年1月にオムのコレクションでストライプのパジャマのような服を着た坊主頭のモデルが登場。これがアウシュビッツを連想させるとして多くのジャーナリストから非難を浴びてしまいます。川久保はアウシュビッツをテーマにしたわけではなく、誤解だったと言っており、一部の人々からは擁護の声も上がりました。
    1997年、「こぶ」が着いたようなこぶドレスを1997春夏の「ボディ ミーツ ドレス・ドレス ミーツ ボディ」コレクションとして発表。ストレッチ生地の内部に羽毛を入れて、体の肉やこぶ自体が一つの身体かのようなデザインを提案して話題となります。この衣服からインスパイアされた振付師のマース・カニングハムから依頼され、川久保がマース・カニングハム・ダンスカンパニーの新作「シナリオ」の衣装と美術をデザインする事になります。
    ブランドとしてコラボレーションも積極的に行い、97年、グローブ・トロッター、2000年以降も、アズディン アライア、フレッドペリー、コレット(セレクトショップ)などコレクションを発表したり、限定ショップを開いた。
    1999年、コム デ ギャルソン青山店がリニューアルし、丸の内店がオープン。

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